1-2.愛があれば大丈夫、イヤ愛がないと生きるのが難しい

けが人に肩を貸す人のイラスト(男性)

自分以外の誰かの感じる喜びや幸せに同調し、それを自分自身のものやそれに準ずるものとして感じられること。それを可能にしている心のしくみが「愛」です。同じく、自分以外の誰かの感じる悲しみや痛みを自分自身のものとして感じることも「愛」です。

なお、自分が誰かを悲しませたり傷つけたり不幸にしたりすることで自分自身の心に生じる痛みやストレスというものを「罪の意識」と呼びます。「愛」という心のしくみに従っての心の動きや行動を「善」や「正義」と呼び、「罪の意識」を感じる結果につながるような心の動きや行動を「悪」と呼びます。

愛は、集団で助け合いながら生き、種として存続し続けようとする人間・人類にとって欠かせないものです。

愛がなければ、人は自分自身という個体が生き延びるためだけに、互いにいがみ合い、互いに奪い合い、互いに殺し合ってしまいます。そう、もしこの瞬間に世界中の人たちの心から愛のしくみが失われれば、あっという間に「人類は衰退どころか滅亡しました」・・ですよね、妖精さん?

そうならないように人の心と人の社会を保たせてくれているのが、愛という心のしくみ、愛の力です。

 

【愛の形】

愛の形というものは、あいさつや気遣い程度の日常的な愛から、とてもとても深い自己犠牲を伴うような愛まで様々ですが、きっと一番根源的で多くの人にとってわかりやすい愛は、「親子の愛情」というものでしょう。

親は自然と、自分のこどもの喜び・悲しみをほとんどそのまま、自分自身の喜び・悲しみとして感じられます。こどもが楽しんでいる姿を心から喜び、こどもが悲しむことや傷つくことを全力で拒否します。そうしたいと自然に感じ、自然に求めます。

これは、子孫が繁栄していくことを目的に進化の過程で作られた、人にとってとても大切な心のしくみで、例えば食欲などとも同じように、紛れもなく「本能の一つ」と位置付けられる心のしくみです。

もちろん、こどもの方も、程度の違いはあれ、自分の親の喜びや悲しみに自然と同調します。そして、家族も同様、友人も同様・・と、どこまでの愛が純粋に本能的なものであるのかは確かでなくとも、その愛の範囲は大きく大きく広がっていきます。

家族、親類、友達、恋人、同じ人種、人類、考え方によっては動物や植物・過去や未来の人間・小説の登場人物やアニメの主人公などにまで愛の範囲は広がり、その愛は程度や状況などによって、「優しさ」や「思いやり」、「慈しみ」や「配慮」、「同調」や「シンパシー」といった様々な言葉でも呼ばれます。

例えば日常的にも、「誰かのことを笑顔にしたい、楽しませたい、幸せを感じさせたいと思えたら」「自分が見て美しいと感じたものを、誰かにも見せてあげたいと思えたら」「楽しかったできごとを誰かに話して、一緒にその楽しさを分かち合いたいと思えたら」、それはその誰かを愛しているということ。

もっと当たり前には、誰かと自分とがともに幸せな気持ちであるために、笑顔で挨拶をすることも愛。例えば、それが賃金を稼ぐための業務の一環としての行動でもあっても、「誰かを不快にさせないために礼儀正しく振る舞いたい」と心から思えれば、それも愛。

愛は特別なものではなく希少なものでもなく、この社会もこの世界も、日常的に当たり前にとても自然に、愛に満ちています。程度の違いはもちろんあれど、誰もが誰かに愛され、誰もが誰かに愛を与え、愛を振りまいています。

現代のこの日本の社会において生じている問題の一つは、社会のしくみや文明の機器が発達していなかった以前の時代に比べて、愛というものが比較的偏って存在しており(愛にあふれた生活をしている人と愛から疎遠な生活をしている人というように極端に偏っており)、また、少なくない人たちにとって愛というものが実感しづらいものになってしまっていることにあります。

 

【愛は本能】

人が人らしい心のカタチを保ちながら生きていくためには、また、自分自身と自分の周囲の人間のことを本当に大切にしながら生きていくためには、この「愛という心のしくみ」を絶対の信頼を持って受け入れ続けていくことが大切です。

なぜなら、愛はもともと人の心に備わっている本能としての心のしくみで、それに逆らい、それを否定して生きていくことは、例えば、食欲という本能を否定して生きていくことと、人の心に与える影響としては何ら変わりないからです。

愛を否定することは、生物としての人間の心にとっては、とても不自然でいびつなこと。愛を否定することは、人であることを否定し、自分自身や自分の種の本来の性質をも否定すること。

 

【愛の効用】

誰かを愛すると、その誰かの喜びや幸せを自分自分の喜びや幸せとして感じられます。

そうして、喜びや幸せは無限に多く・無限に大きくしていくことができます。これは、自分の生きる意味や自分の人生の価値を無限に多く・無限に大きくしていくことでもあります。また、誰かの悲しみや不幸は、一緒に分け合うことで、時として小さくもできます。

このように、愛を素直に持ち続け感じ続けることで、人は、厳しい社会の中で現実に生きやすくもなります。

日常的で当たり前の愛と、その愛の大切さとを多くの人々が再認識することで、良い愛の連鎖を社会の中で実際に広げていくこともできます。そうして世界は変わります。