まるでまとめのような、まえがき

なんとなくモヤモヤした雰囲気とアヤフヤな価値観にあふれた世の中で、なんとなくモヤモヤした「しんどい心持ち」のまま、日々をどうにかこなしている。

決して少なくない人たちの感覚として、残念ながら今はそんな時代で、ここ日本は特にそんな社会です。

 

朝起きて、いつものようにテレビをつけてみましょ。

どこか遠い国での紛争のニュースを見て、自分自身に直接すぐ影響するような不幸ではなく、よく知らない誰かの不幸であっても、心が少し疲れたりします。この心の疲れは、きっと人として正常な大切なものです。

では、スマホでFacebookかInstagramでも見てみましょうか。あまり親しくない友人のリア充な生活ぶりを再確認し、自分の代わり映えのしない毎日と比較して、また少し心が疲れるかも知れません。

それならばと、疲れた心を癒してもらうために、誰かにSNSのメッセージでも送ってみましょうか。なかなか返事が来ず、既読にすらならず、心は更にモヤモヤとしていくこと請け合いです。

 

「あれれぇ!おかしぃぞー。」・・メガネの小学生探偵風になってしまいましたが、はて私たちは、自分たちの心を疲れさせてモヤモヤさせるために便利な情報社会を作り、IT機器などを使いこなしていたんでしたっけかな?

そうして、疲れ果てた心はしばしば、自分自身を守るために心の機能を麻痺させることを選びます。

混乱を避けるために、得られる情報を無意識に無計画に遮断します。疲れるのを避けようとし、感じることをやめます。しまいには、満たされないとヤキモキするので、望むことすらしないようになっていきます。

 

得られる情報と刺激が膨大になり過ぎた社会と文明に、人間の心は対応しきれていません。明らかなオーバーフロー状態で、その情報と刺激の量と質は、人の心の許容量・限界を軽く超えます。

Yahoo!を「ヤッホー!」とやまびこが返ってきそうなステキな読み間違えをするシニアさんなどは、まだ情報や刺激による疲れに敏感だったりしますが、こどもの頃からITが当たり前のデジタルネイティブの人などは、情報や刺激が適度で心に余裕があった状態を感覚的に知らないので、今の異常な量の情報や刺激による疲れに気づくことさえできません。

結果、心は疲れ果てて麻痺してゆがんで、本来の健全な形を失っていきます。また、心の麻痺やゆがみは、もちろんその人の人生にも、その人の身体の健康にも強く影響してしまいます。

私が本業のかたわらで、メールやり取り中心のカウンセラーとして相談対応をさせて頂いていた方々の心の中で、このような現象が、今まさに起きています。

そうして麻痺し、失われてしまっている・または感じづらくなってしまっている心のしくみの代表的なものが「愛」です。この「愛の麻痺」や「愛の喪失」は、個人の心にだけではなく、社会全体にもとても大きな良くない影響を与えてしまっています。

 

そもそも、愛が充分にあれば、人の心や人の社会に起きる問題の多くは、解決方向に自然と向かえます。もちろん現実問題として、例えば資源も食料もエネルギーも有限な世の中で課題は大量にあるとしても、より良い方向に・より理想とする方向に自然と「向かうこと」ができます。

人は互いの喜びや幸せ・痛みや悲しみを自分自身のものとして感じられるようになるので、誰かを傷つけることに抵抗や罪の意識を感じ、虐待も暴力も犯罪も減ります。

互いの幸せや喜びを求められるようになり、そのために自発的に価値を生む行動をし、配慮や敬意で社会は満ちあふれていきます。

結果、孤独感や無力感や人間関係の不満を感じてしまう人は大きく減り、お互いの優しさや愛や配慮といったものがお互いの心に喜びや幸せを自然ともたらし、それが無限に広がり続けていくステキな連鎖が生まれます。

また、そもそも人間というものが集団で生きる動物で、愛という本能を備えて生まれてくる以上、このような理想に近いと思える社会の形を、本当は多くの人たちが望んでいるハズなのです。

社会のしくみ、例えば、経済・法律・宗教・政治なども、愛のしくみを部分的に代替することで社会のバランスを保とうとしているものに過ぎません。

その社会の規模は別にしてですが、文明が発展する以前の比較的原始に近い社会において、人の社会がうまく成立してうまく機能していくためのしくみは、人間一人一人の心の中の「愛のしくみ」というものが担い、愛の力により社会のバランスがうまく保たれていました。

愛があるから、人は利己的になり過ぎずに済みます。集団として、家族と・友人と・仲間と一緒に助け合って生きられます。

また例えば、人が愛を感じる対象というものが未来に生きる子孫にまで広がれば、将来の人類のために、今流行りのサムギョプサル・・、間違えた、サスティナブル(持続可能)な社会を維持しようとする意識もより強く働くことでしょう。

地球環境はより大切にされ、自然と資源は守られ、永遠ではないにしても、本当に幸せに人類が永く住み続けられるステキな世界や未来が実現できるかも知れません。

 

今よりもう少し原始的な社会の中では、人の愛・優しさ・思いやり・いたわり・配慮といったものは、もっと自然でもっと当たり前で、抵抗なくほとんどの人が共通に持っているものだったはずです。

なぜ、どのようにして、決して少なくない人たちの心の中から、大切な心のしくみや愛が失われてしまったのか。

また、それを取り戻して、愛や充実感にあふれた、多くの人が幸せを感じられる良い社会にしていくことは可能なのか。可能とすると、私たちはそのために、いったい何をすべきで何ができるのか。

 

起きてしまっている「人の心の崩壊」と、これから目指すべきと思われる「人の心の再構築」と、そしてそれを通じて実現できるかも知れない「人の心と愛の力を大切にできる社会の再構築」について、考えていきます。