1-1.忘れてない?人も動物だったよね

人類の進化のイラスト

まず、「社会に生きる人の心」について考える前に、そもそもの「生物としての人の心」について、確認をしていきます。

人も生物なので、もちろん、その心のしくみの土台は、大自然において長く命と世代をつなぐ中で得てきた「進化」というものにより形作られています。

最も原始的な、「個」で生きる生物としての心のしくみは、とてもシンプルで純粋に、「自分自身という個体が、より長く生き続けられること」を求めました。

そこから今度は、「種」で生きる生物としての心のしくみに進化し、「自分の種という存在が、より長く生き続けられること」を求めるようになります。

ここで、私たちが普段「愛」と呼んでいる心のしくみが備わります。

「いたわり」「優しさ」「思いやり」「配慮」「慈しみ」など、様々な名前で呼ばれるこの心のしくみをもともと備えているからこそ、人は種を存続させ、集団で助け合いながら生きることができます。

愛が無ければ、社会はおろか、例えば、家族すらも成立しません。

 

【心の矯正】

もともとは生物として・動物としての心のしくみそのままで生まれてくる私たちですが、文明社会の中で生まれ育っていく過程で、その社会のしくみや社会規範(その社会の中で多くの人たちが共通に強く持っている価値観)に合わせて、自分自身の心を部分的に矯正していきます。

例えば、家庭や学校の中で家族や友人の影響を受けたり教育を受けたりして、常識と呼ばれるものを身に付け、社会に溶け込んで、大きな問題を起こすこともなく平和に安定して暮らしていけるようになります。

このような「心の矯正」がものすごく柔軟にできるということもまた、社会的な動物である人間が得てきた、とても大切でとてもすぐれた心のしくみです。人の心は、生きていく中でどんどん変化し成長していけます。

そしてもちろん、「良い社会のしくみと良い社会規範の中での適度な心の矯正」は、過酷で危険な野生の中ではなく、比較的安全で安定した社会の中で、たくさんの人々が心のバランスをとって社会の秩序を保ちながら生きていくためにも必要なものです。

 

【愛が奪われ心が麻痺する環境】

しかし、影響を受ける社会規範や社会のしくみが極端過ぎたり、心の矯正があまりにも過度なものになったりしてしまうと、人は、愛を含めた心のしくみを失い、人間らしさを失ったり生きづらさを感じたりしてしまうことがあります。

例えば、愛をまったく与えられないような極端な環境や、愛を完全に否定するような極端な社会では、その環境や社会に染まれば、当然、人は愛という心のしくみを失います。

戦争下や紛争下で人が人を殺し続ける状況、愛の無い家庭や愛の無い社会での生活、程度の違いはあれど、「人に愛されず人を愛せない環境」が、人の心から愛のしくみを奪い去ります。

また、現代社会では更に、膨大な情報や過度の刺激を得続けることで人の心は麻痺し、やはり、愛を含めた「自分自身の心の動き」というもの自体を感じづらくなってしまっており、このことも、心のしくみの喪失や人間らしさの喪失に相乗的に影響してしまっています。この点に関しては、後でまた詳しく触れますね。

 

【ここでのまとめ】

人は、社会の中で生きる理性的な存在である前に、感情的で本能的な生きものであり、動物です。

自分勝手で純粋で力強くて常に全力で欲求や感覚にとても素直で、その一方で、絶対的な強い愛を備えて助け合える優しい動物としての心と、文明社会の中で秩序を保って生きられる人間としての心とを両方認め、「バランス良く生きる」ということが、私たちには、まず一つ、とても大切なこと。