3-3.現実の「人」を大切にする社会の創造
過去においては人の役割だったものが、現代社会では他の様々のものに代替されています。
人がしていたはずの仕事は、機械が代替します。人と人との現実のやりとりしかなかったコミュニケーションというものも、他の便利な文明の機器によって代替されています。 誰かと時間と空間と顔を合わせての笑顔の見えるナマの声のやり取りは、LINEやメッセージやSNSやメールが代替します。
もちろん、こういったものも、無駄なく効率的で便利で楽ですよネ。
ですが、これらの代替によって、ある人は自分自身の存在意義の一部を失うかも知れません。例えば、人が仕事をすることの本質はお金を稼ぐことではなくて価値を生み出すことですが、AIや機械に仕事を奪われてそれができなくなった人は、無力感を感じ、自分の存在意義に疑問を感じてしまうかも知れません。
社会の中の多くの人たちがメディアを通じて特定の有名人のことばかりを見たり、SNSを通じて間接的なやり取りばかりをします。少なくとも、それが感覚的にも一部の人には寂しく思えます。
そこには、本来当たり前にあったはずの、「目の前にいる誰かが、自分のことを見てくれて認めてくれて触れ合ってくれて声を交わしてくれる」といったやりとりが失われています。 それに伴い、お互いの心に生じたはずの価値や意味が大きく失われています。
他にも、ここまでずっと論じてきましたように、人を代替させることや人の心の機能を代替させることによる影響は数多くあります。
人の役割だったものを何かに代替させることで、人の心に生じるはずだった価値や意味は大きく失われ、人の心は知らず知らずのうちに、非常に大きくその影響を受けます。
人を中心とした・人の心を本当に大切にした社会や世界であり続けるためには、人の代替を無制限に認め過ぎるべきではないのでしょうし、人の代替をし過ぎることによる影響や危険性を多くの人間が自覚しておくべきなのでしょう。
現実の人を大切にする・現実の人の心を大切にする価値観を多くの人が持ち、それが社会規範として強化されることで、社会はまた一つ、良い方向に、多くの人を幸せにできる方向に進んでいきます。