1-3.求めて満たされて、満たされずゆがんで・・

頭の中の天使と悪魔のイラスト(女性)

人が生きて子孫を残していくためには、生活の糧を得たり結婚相手を見つけたりなどなど、様々なことを現実になしていかなければなりません。大自然の中でも文明社会の中でも、個として・種として、生きるためにするべきことがいろいろとあるのは同じです。

 

【欲求】

ここで、人が生きていくための原動力となる「欲求」という心の力の性質について、確認をしていきたいと思います。

生きたい・愛したい・食べたい・眠りたいなど、「動物としてのものにより近い根源的な欲求」が、まずあります。

続いて、認められたい・評価されたい・知識や経験を得たい・世の中の役に立ちたいなど、「衣食住足りて礼節を知った後に得られるだろうような高次の欲求」というものもありますよね。

更には、旅行に行きたい、楽しく遊びたい、「いいね!」を集めたい、ツムツムやりたい、逢いたかったーなアイドルのライブに行きたい、とにかくお金を稼ぎたいなどなど、現代社会の私たちは本当に多様な形の欲求を持ちますが、それら全て含めて、「欲求とは、人を動かし生かしている根源の心の力」です。

 

【快と不快】

人も含めて全ての動物は「欲求」を自分の心に生み出し、それが満たされることを求めて考えたり行動したりして実際に外界(自分の心の外の世界)にも働きかけ、欲求が満たされることで「快」を、欲求が満たされないことで「不快」を得ます。

快は心と体に良い効果をもたらしてくれますが、「不快」は心と体に良くない影響、いわゆる「ストレス」をもたらしてしまいます。

「心と体にプラスに心地良く影響する快を求め、心と体にマイナスにダメージを与えるように影響してしまう不快を避ける」というシンプルな心のしくみが、人を突き動かし、人を生かしています。

 

【昇華と倒錯】

ところが、当たり前のことですが、例えば、現代日本のこの社会の中では、人は動物としてそのままの欲求を全て満たし続けながら生きることなど、もちろんできません。睡眠欲や食欲が常にまる出しでは、会社勤めにも学校生活にも影響が出ますし、物欲や性欲がまる出しでは、すぐに警察のお世話になれてしまいます。

ですので人は、大人になるにつれて、自分の心に生じている欲求という心の力を抑圧するようになります。平たく言うと「我慢」をするようになるということですね。しかし、我慢してばかりでは、ストレスが溜まり続けてしまいます。

そこで人は、不快を感じ続けることを避けるために、もともとあった本来の欲求の形を別の形に変え、心の力を別の方向に向かわせ、叶えられなかった欲求の力を発散&解決できるよう、心のしくみを作り上げます。これは、人が自分の心を守るための自己防衛の機能の一つでもあります。

健全な社会や良い成育環境の中で育つことができれば、心の力は、社会規範(その社会の中で多くの人が持っている常識や価値観や考え方)の影響も受けつつ、社会に適した・社会に肯定され歓迎され認められる「良い方向の別の形」に向かって発散&解決されることが多くなります。

例えばこちらは、社会の役に立って人のためになる仕事や多くの人に価値を認められるような趣味、誰かに無償で価値(楽しさや喜びなど)を与えられるような慈善活動に力を向かわせるといったことで、「昇華」という言葉で呼ばれます。 昇華は、多くの場合、愛や善や正義と同じ方向性を持ちます。

一方、健全でない社会だったり現代日本のように社会規範が希薄過ぎたり、極端過ぎる教育を受けたりするなど、良い形の社会規範をうまく取り入れることができなかった場合には、社会に適さない・社会に認められない「良くない方向の別の形」に心の力が向けられてしまうことがあります。

こちらは例えば、誰かを傷つけてしまう暴力や誰かから価値を奪い去ってしまう犯罪などに傾倒してしまうといったことで、「倒錯」という言葉で呼ばれます。倒錯は、多くの場合、罪や悪と同じ方向性を持ちます。

なお、昇華と倒錯は必ずしも完全に分けられるようなものではなく、例えば、「毎日毎日、一日中ネットゲームに没頭すること」でも、自分の家族に心配を掛けさせてしまう点では、罪に近く倒錯ですが、ネトゲ仲間さんたちを楽しませたりしている点では価値や意味を生んでおり愛と同じ方向性を持ったりもするので、昇華と言える場合もあったりします。

「世のため人のための仕事に没頭しつつ、家族の幸せをおろそかにする」「世界中を感動させるような有名スポーツ選手になる過程で、自分の将来について家族に心配を掛けさせる」なども、愛や善や正義と同じ方向性を持つ昇華であると同時に、悪や罪と同じ方向性を持つ倒錯です。人の心は、しばしばこういったジレンマに陥ります。

 

【心の麻痺】

「欲求」というものは、動物としての純粋な心の状態では非常に強いもので、それを満たすために自分自身をまっしぐらに突き進ませます。

おもちゃを目の前にした小さな子どもも、大好きなキャットフードを目の前にしたネコも、何のためらいもなくまっしぐらです。欲求を満たせない時に感じる不快感というものに対しても、動物としての純粋な心はとても素直で敏感で、その不快感を全力で避けようとします。

それに対し、巨大で安定した社会にすっかり溶け込んだ私たち現代人の心の中では、欲求を満たせない時に感じる不快感というものは、今更特別に取り上げるまでもないほど当たり前過ぎるものになっており、モヤモヤとした感覚をただただずっと抱かせ、しかし心を少しずつですが確実にむしばんでいきます。

空腹で不快でも眠たくて不快でも誰かに叱られて不快でも自分が愛されなくて不快でも、社会生活の中で人は、誰かからの評価や意識を気にし続け、感じている不快感をある程度我慢し続けます。

そうして、ずっとずっと満たされず、昇華も倒錯もできない心の力が限界を超えるほどに溜まり過ぎた人間の心は、自分自身の心や体を守るために、満たせない欲求を喚起させるようなものを「感じること」「考えること」「求めること」を部分的にできないように、心を無意識に麻痺させ、心の機能や心の力を失わせていきます。

例えば、「うつ」と呼ばれる心の状態なども、このような心の麻痺・心の機能の喪失が主な原因となっている場合が少なくないです。

現代のこの日本の社会に生きる私たちは、不平不満を力いっぱい外に発散することなどほとんどなく、この社会にとてもよく溶け込んでいて自分自身の心の動きに対して麻痺しがちで、欲求を満たせないことでのなんとなくのモヤモヤも大量にあふれるほど抱えがちです。そして、それになかなか気付けません。

ですので、時々立ち止まって自分自身の心の声に耳を傾け、「感じることや考えることや求めることなど、心の重要な機能が麻痺してしまっていないか」ということを意識し続けることが、私たちが健全な心を持って生き続けるために、とても大切です。

 

【生きがい】

もう少し、付け加えますね。

私たちがこの社会の中で人としての心のしくみを保ちながらうまく生きていくためには、自分自身の心を適度にバランス良く抑圧し、満たせない心の力というものをうまく昇華できるように「楽しめる何か」や「没頭できる何か」や「好きな何か」を見つけることが、大きく役立ちます。

ここで見つける「好きな何か」に関してですが、もちろん、「自分が大好きなゲームやアニメに個人的に没頭すること」でも、「自分の好きなアイドルやアーティストを追っかけ続けること」などでも、それは、抑圧された心の力が昇華できるので充分素晴らしい趣味で、人生を多様にでき、人生を楽しくできることではあります。

ですができれば、「愛と同じ方向性を持った素晴らしい昇華」ができると、愛のしくみによって自分の感じられる価値や意味も大きく高められ、また、社会にも自分の周囲の人たちにも評価されやすくなり、多くの場合、実際に自分の人生を充実させることができて、生きやすくもなります。

このような理想的な昇華の例としては、例えば、「ボランティアや慈善活動・誰かに喜びや価値を生み出せるような仕事や趣味のために頑張ること」などが挙げられます。自分の働きかけによって幸せや喜びを感じてくれている誰かがいることを実感することで、自分の心がその誰かの幸せや喜びと同調し、自分自身もより大きな幸せや喜びを感じ続けられます。

美味しいものを提供して誰かを笑顔にするシェフやパティシエさん、心地良い音楽を提供して誰かと幸せな時間を共有できるアーティストさん、困っている誰かを助けることで喜んでもらうボランティアさんなど、価値や意味を生み出せるほとんど全ての仕事や活動が、このような素晴らしい昇華に該当するのでしょう。

なお、もちろん、「自分の家族を笑顔に・幸せにするために、日々、仕事や家事を頑張ること」なども、素晴らしい昇華ですが、これはむしろ、昇華ではなく本来のままの愛の形に近いとも言えるのでしょうね。

お母さんは家事と子育てに専念してお父さんは仕事で社会に(他の多くの人たちの心に)価値を生み出し(もちろん、お父さんが主夫の場合もありますね)、また、これから社会に多くの価値を生み出すこどもたちを家庭で育てる。組織や企業単位で、個人ではできないような規模で多くの価値や意味を社会に生み出し続ける。愛と呼ぶのが正しいのか昇華と呼ぶのが正しいのかはイロイロですが、このように、愛を中心とした「人の心の力」で、社会は回っています。

自分なりの良い昇華の形(愛の実現に関わるような昇華の形)を見つけること、そして、その昇華のしくみを自分の心の中で定着させて強化させること。更には、やがてそれは、自分自身の個性となり、信念となり、生きがいともなります。